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織田信長と本能寺の変

■本能寺の変の黒幕は?
○明智光秀単独犯行説
明智光秀は本能寺の変の直前に行われた徳川家康接待の役目を
途中解任されたり、国替えを命じられる、信長に罵倒されているなど
信長に恨みを持っていたと考えられる。



また、単純に信長を倒せば
京都近辺を掌握できるため、天下が取れると判断して決行した。
などが単独犯説であるが、本能寺の変前年に光秀が記した『明智家法』によれば
『自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、過分の御恩を頂いた。
一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない』
という趣旨の文を書いており、信長に対しては尊崇の念を抱いている。
このことにより、光秀は誰か上位者から謀反を命じられたのではないか
とする黒幕説が浮上してくるのである




○朝廷黒幕説
朝廷黒幕説も、黒幕は正親町天皇なのか、誠仁親王なのか、
あるいは近衛前久等の公家衆主体なのかで意見が分かれる。
背景としては「三職推任問題」での信長の対応が、
朝廷を滅ぼす意思を持っているのではないかという恐れがある
というのが朝廷黒幕説の根拠の一つに挙げられる。

事実光秀は信長・信忠を討った後朝廷に参内し、金品を下賜されている。
また、山崎の戦いの後、織田信孝が近衛前久に対し追討令を出して執拗に行方を捜した事、
吉田兼見が事情聴取を受けている事、更に兼見の日記で当時の一級史料でもある
『兼見卿記』原本の内容が本能寺の変の前後一ヶ月が欠けており、
あまつさえ再度天正10年の項目を新たに書き直したという事実も、
朝廷黒幕説を匂わせているが、確たる証拠となるものに欠けている。
加えて、「三職推任問題」自体が本能寺の変の直前の出来事であり、
その性質上即答可能な問題ではなくむしろ京都立ち寄りの理由の一つに
その返答があったと考えられている

(逆に信長の返答を阻止するためにこの日程で本能寺を襲ったと解する事も可能ではある)。
更に黒幕として名前が挙げられている
近衛前久に対しては本能寺の変の当日に出家しており(数日後とも)、
これは細川藤孝の出家と同様に信長に殉じたと解釈するのが適切である事や
後々まで信長の死を惜しんだ和歌を残している事などの反証が挙げられている。
また、
正親町天皇や誠仁親王に関しても具体的な証拠があるわけではなくこれも仮説の域を出ない