織田信長の歴史から現代の経営、政策の感覚を学ぶ

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織田信長の人事戦略

現代の日本は「終身雇用制」から「能力主義」へと移行しつつあるが、
信長は400年以上も前に、もう同じ事をやっていた。




能力主義を重視して、農民出身の木下藤吉郎(羽柴秀吉)、
浪人として各地を放浪した明智光秀、忍者出身とされている滝川一益などを登用する一方で、
父信秀の代からの重臣である佐久間信盛や林秀貞らを追放した。
佐久間や林にはそれなりの実績があったが、
同様の譜代家臣ながら北陸方面軍の指揮官として活躍する勝家などと比すと物足りないものがあった。
重臣として織田家に居座りつつ、活躍以上の利権を自己主張する佐久間や林に対し、
懲罰的粛清を断行したと見る向きもある。



ただ当時としては革新的に過ぎて、周りが信長の思考を理解できなかった可能性も否定はできない。 佐久間信盛や林秀貞ら譜代家臣および安藤守就の粛正については、
家臣の所領を整理し織田家直轄領を増やす目的もあったと見る事もできる。

また、宣教師と共にやってきた外国兵を受け入れ、
国籍を問わず、自らの兵として登用していた

人事においては厳しい一面があったように言われているが、
羽柴秀吉が子に恵まれない正室・お禰に対して辛く当たっていることを知ると、
秀吉を呼び出して厳しく叱責し、お禰に対しては励ましの手紙を送るなど、
彼らしい人間味を見せているところがある。