織田信長の歴史から現代の経営、政策の感覚を学ぶ

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織田信長と情報

インターネットが普及した現代社会において、
情報の取得と選択は最重要事項の一つとなっているが、
信長は400年以上前の時代から情報を重視してたのである。



■桶狭間の戦いを制したのは情報
信長が尾張(今の愛知県)を統一してしばらくした後、
今川義元が4万の軍勢で尾張に侵攻してきた。
対する信長の軍勢はわずか3千。信長の家臣はもはやこれまで
と、少しでも粘る事のできる篭城戦を提案したが、
信長は何も語らず、自室に篭ってしまった



同日深夜、信長家臣の簗田政綱が信長に以下の情報を伝える。
○今川義元本体は兵力5千、見通しが悪い桶狭間に野営をしている。
○前線・本体・後続の部隊はそれぞれの速度で進軍しており、ばらばらになっている。
○しばらく大雨が続く模様である
簗田政綱はこれらの情報を伝えるとともに、全軍をもって
桶狭間を強襲して、今川義元の首を取れば勝てると伝えた。

信長はとても喜び、その作戦を実行。服部小平太と毛利新助が義元を討ち取り、
歴史的な一戦に快勝したのである。
戦後、多くの家臣が軍功一番は義元を討ち取った服部小平太と毛利新助のどちらか
であうと噂をしていたが、
信長が軍功一番としたのは、正確な情報を伝えた簗田政綱であった。
このことからも、信長が情報を重視していたことがうかがえる。